結論から。『長靴をはいた猫』の原作として知られるのは、フランスのシャルル・ペローが1697年に出した童話集『過ぎし昔の物語ならびに教訓』に収めた一編です。
ただし話の原型はそれより古く、16世紀イタリアのストラパローラと、17世紀ナポリのバジーレがすでに似た物語を書いています。
ペローは物語の最後に、性格の違う二つの「教訓」を付けました。
この記事では、四つの版の違い、ペロー版のあらすじと二つの教訓、猫が長靴をはく理由、日本と世界での受け止められ方までを整理します。
- 原作として定着したのはペローが1697年に出した童話集の一編。
- 原型は16世紀のストラパローラ、17世紀のバジーレにさかのぼる。
- ペローは「才覚は遺産に勝る」「装いと若さも力になる」と教訓を付けた。
長靴をはいた猫の原作はペローの1697年の童話集
『長靴をはいた猫』の原作として広く読まれているのは、シャルル・ペローが1697年にパリで刊行した『過ぎし昔の物語ならびに教訓(Histoires ou contes du temps passé, avec des moralités)』に収められた「猫の親方、または長靴をはいた猫(Le Maître chat ou le Chat botté)」です。
刊行は1697年1月、版元はパリのクロード・バルバンで、2年前の1695年には『がちょうおばさんの話(Les Contes de ma mère l’Oye)』と題した挿絵入りの手稿がすでに作られていました。
ペロー版の特徴は、物語のあとに韻文の「教訓(Moralité)」を添えた点にあります。
一方で、ペローがこの話を一から作ったわけではありません。
同じ筋の物語は、16世紀イタリアのストラパローラ、17世紀ナポリのバジーレの作品に先に現れ、19世紀にはドイツのグリム兄弟も初版に収めました。
四つの版を並べると、猫の正体と結末、そして物語が伝えようとする教えが少しずつ違っています。
| 版 | 刊行 | 主人公と猫 | 結末と教え |
|---|---|---|---|
| ストラパローラ『愉しき夜』「コスタンティーノ・フォルトゥナート」 | 1553年(第2巻、ヴェネツィア) | ボヘミアの貧しい若者コスタンティーノと、妖精が姿を変えた雌猫 | 猫の働きで若者が王女と結婚する |
| バジーレ『ペンタメローネ』「カリウーゾ(ガリウーゾ)」 | 1634年(ナポリ) | 貧しい若者カリウーゾと、知恵のある猫 | 出世した主人が恩を忘れ、猫は去る。恩知らずへの戒め |
| ペロー「猫の親方、または長靴をはいた猫」 | 1697年(パリ) | 粉ひきの三男と、長靴を求めた雄猫 | 三男は「カラバ侯爵」として王女と結婚。二つの教訓が付く |
| グリム『子どもと家庭のメルヒェン』初版 | 1812年(ベルリン) | 粉ひきの三男と長靴の猫 | 第2版以降は削除された |
長靴が物語の目印になったのはペロー版からです。ストラパローラとバジーレの版では、猫は妖精や知恵のある猫として描かれ、長靴は物語の要素になっていません。原作を語るときは、どの版の話かを最初に決めると混乱しません。
ペローより古い原型|ストラパローラとバジーレ
『長靴をはいた猫』の最も古い原型として知られるのは、イタリアのジョヴァンニ・フランチェスコ・ストラパローラが1550年から1553年にかけて刊行した物語集『愉しき夜(Le piacevoli notti)』の一話です。
貧しい若者コスタンティーノ・フォルトゥナートが遺産として一匹の猫を受け継ぎ、その猫の働きで王女と結ばれます。
この版の猫は雌猫で、実は妖精が猫の姿をとったものとして語られます。
次に現れるのが、ナポリの詩人ジャンバッティスタ・バジーレの『ペンタメローネ(五日物語)』に収められた「カリウーゾ(ガリウーゾとも)」で、作者の死後の1634年に刊行されました。
筋はよく似ていますが、結末が大きく異なります。
出世したカリウーゾは、猫に金の棺を約束しておきながら、猫が死んだふりをすると亡骸を窓から投げ捨てさせ、猫は恩知らずの主人を見限って去っていきます。
バジーレ版は「恩を忘れるな」という人間への戒めで終わり、猫の側から人間を批評する物語になっています。
これに対してペロー版の猫は、最後まで主人を見捨てず、自らも貴族のような身分を得て幸せに暮らします。
猫が人間を出し抜き、知恵で運命を変える存在として描かれる流れは、猫の象徴性を考えるうえでも興味深い点です。猫が世界の神話で何を表してきたかは猫は世界の神話で何の象徴か|地域別に読み解くで整理しています。
ペロー版『長靴をはいた猫』のあらすじ
ペロー版のあらすじは、遺産として猫しかもらえなかった粉ひきの三男が、猫の策略によって「カラバ侯爵」となり、王女と結婚するまでの物語です。
猫は嘘とはったりと、ときに脅しまで使って主人を出世させます。
流れを五つの場面に分けると、猫の作戦がよく見えてきます。
- 遺産分け:粉ひきが亡くなり、長男は粉ひき小屋、次男はろば、三男は猫だけを受け継ぎます。猫は袋と長靴を求めます。
- 王への献上:猫は袋で捕らえたウサギやヤマウズラを、「カラバ侯爵からの贈り物」として繰り返し王に届けます。
- 川での芝居:猫は三男を川で水浴びさせ、通りかかった王に「侯爵が服を盗まれた」と助けを求めます。三男は立派な服を与えられ、王女の心をつかみます。
- 農民への口止め:猫は先回りして畑の農民たちに、この土地はカラバ侯爵のものだと言わなければひどい目に遭うと脅します。
- 人食い鬼の城:猫は城の主の人食い鬼をおだててライオン、次にネズミに変身させ、ネズミになったところを食べてしまいます。城を手に入れた三男は王女と結婚します。
物語の最後で猫は「大貴族」となり、ネズミを追うのは気晴らしのときだけになったと結ばれます。
主人だけでなく猫自身も身分を得る結末は、バジーレ版とは正反対です。
長靴ひとつで人間の世界に入り込んだ猫のように、小さな装いが印象を変えることがあります。猫を静かに身に着けるアニマルデザインはNYXARIA公式ストアで紹介しています。
ペローが付けた二つの教訓とは
ペローが『長靴をはいた猫』に付けた二つの教訓は、「受け継いだ財産より、才覚と工夫の方が役に立つ」と「装いと顔立ちと若さも、人の心をつかむ手段になる」という内容です。
一つ目は「教訓(Moralité)」、二つ目は「もう一つの教訓(Autre moralité)」として、どちらも短い韻文で書かれています。
ここではフランス語の原文をもとに、意味を日本語で要約します。
| 教訓 | 原文の要点 | 日本語での要約 | 誰の話として読めるか |
|---|---|---|---|
| 教訓(一つ目) | l’industrie et le savoir-faire | 親から子へ受け継ぐ豊かな遺産も大切だが、若者にとっては勤勉と才覚の方が値打ちがある | 実際に才覚を発揮したのは猫 |
| もう一つの教訓 | l’habit, la mine et la jeunesse | 粉ひきの息子が王女の心をすばやくつかめたのは、服装と顔立ちと若さが、愛情を呼び起こすのに無関係ではないから | 王女に選ばれた三男の側の話 |
二つを並べると、教訓どうしが少しずれていることに気づきます。
一つ目は才覚をたたえますが、物語で才覚を使ったのは三男ではなく猫で、三男自身は猫の指示に従っただけです。
二つ目は、王女が三男を選んだ理由を立派な服と若さに求めており、才覚とは別の、見た目の力を認めています。
この「ずれ」こそ、ペローの教訓の読みどころです。
宮廷社会に生きたペローは、出世には実力だけでなく、装いや第一印象も効くという現実を、皮肉を込めて二つ目の教訓に書き添えたと読むことができます。
子ども向けの絵本では教訓が省かれることが多いため、原作に当たると印象が大きく変わる部分です。
猫はなぜ長靴をはいているのか
猫が長靴をはいている理由は、ペローの本文では「やぶの中を歩くため」と説明されています。
猫は遺産として引き取られた直後、三男に袋を一つと、やぶに入るための長靴を一足作ってほしいと頼みます。
袋は獲物を捕らえる道具、長靴は狩り場を歩く道具として、どちらも王への献上品を得るために使われます。
本文の理由とは別に、長靴には物語上の役割もあると読まれています。
17世紀のフランスで長靴は、馬に乗り、狩りをする身分の人の装いでした。
猫は長靴をはくことで後ろ足で立ち、人間の言葉で王と話す「紳士」として振る舞う資格を得た、と解釈することができます。
- 本文の理由:やぶに入って獲物を捕らえるため
- 装いとしての意味:狩りをする身分の人の持ち物で、猫を紳士らしく見せる
- 物語上の役割:動物の世界と人間の世界をまたぐ目印になる
動物に服や小物を着せて人間のように振る舞わせる表現は、日本の浮世絵にも見られます。
猫を擬人化した江戸の表現は歌川国芳の猫の浮世絵の見方|擬人化・文字絵・見立ての3つの型で比べることができます。
グリム童話から消えた『長靴をはいた猫』
グリム兄弟は1812年の『子どもと家庭のメルヒェン』初版に「長靴をはいた猫(Der gestiefelte Kater)」を第33話として収めましたが、第2版以降には収録していません。
グリム兄弟はこの話を、フランスから移住したユグノーの家系のジャネット・ハッセンプフルークから聞いたとされ、筋はペロー版とほぼ同じです。
そのため、現在よく読まれるグリム童話の決定版には『長靴をはいた猫』は入っていません。
グリム版がペロー版とほぼ同じ筋をたどることは、ペローの童話集がフランス語を話す人々を通じて国外にも伝わっていたことを示しています。
「グリム童話の長靴をはいた猫」という言い方は誤りではありませんが、初版にだけ載った話だと添えると正確です。
日本と世界での受け止められ方
『長靴をはいた猫』は、バレエ、演劇、アニメーション映画を通じて、原作を読んだことのない人にも知られる物語になりました。
ペロー版の筋を下敷きにしながら、猫の性格や結末は作品ごとに大きく作り替えられています。
| 年 | 作品 | 猫の描かれ方 |
|---|---|---|
| 1797年 | ルートヴィヒ・ティーク『長靴をはいた猫』(ドイツの戯曲) | 観客や当時の劇場を風刺する三幕の喜劇 |
| 1890年 | チャイコフスキー『眠れる森の美女』(バレエ) | 第3幕の結婚式に、長靴をはいた猫と白い猫が登場する |
| 1969年 | 東映動画『長靴をはいた猫』(3月18日公開の劇場長編アニメーション) | 主人公の猫ペロは、現在も東映アニメーションのシンボルマーク |
| 2004年 | ドリームワークス『シュレック2』 | 剣を持つ伊達男の猫として登場し、のちに主役の映画が作られる |
日本では1969年の東映動画の映画によって、長靴の猫が子ども向けアニメーションの顔として親しまれました。
主人公の猫「ペロ」は、現在も東映アニメーションのシンボルマークとして使われています。
物語に登場する猫を比べる視点は、黒猫アートのモチーフの意味|絵画と文学でたどる両義性や猫が出てくる日本の文学|語り手か脇役かで読むでも扱っています。
日本の文学で猫が語り手になった代表例は、ペロー版から200年余り後の夏目漱石の作品です。
人間を外から眺める猫という点で、長靴の猫と漱石の猫を読み比べるのも面白い読み方です。その成り立ちは『吾輩は猫である』の猫のモデル|漱石の家に来た黒猫で紹介しています。
よくある質問
長靴をはいた猫の原作者は誰ですか?
広く原作とされているのは、フランスのシャルル・ペローが1697年に刊行した童話集『過ぎし昔の物語ならびに教訓』に収めた一編です。ただし原型は、16世紀イタリアのストラパローラや17世紀ナポリのバジーレの物語にさかのぼります。
長靴をはいた猫はグリム童話ですか?
グリム兄弟は1812年の初版に第33話として収めましたが、第2版以降には収録していません。そのため、現在よく読まれるグリム童話の版には入っていません。一般に原作とされるのはペロー版です。
長靴をはいた猫の教訓は何ですか?
ペローは二つの教訓を付けています。一つ目は、受け継いだ財産より勤勉と才覚の方が値打ちがあるというもの、二つ目は、服装と顔立ちと若さも人の心をつかむ手段になるというものです。
猫はなぜ長靴をはいているのですか?
ペローの本文では、やぶの中に入って獲物を捕らえるために、猫が袋と長靴を求めたと書かれています。あわせて、長靴は狩りをする身分の人の装いで、猫を紳士らしく見せる役割もあったと読まれています。
長靴をはいた猫のあらすじを短く教えてください
遺産として猫しかもらえなかった粉ひきの三男のために、猫が獲物を王に献上し、主人を「カラバ侯爵」に仕立てます。猫は人食い鬼をネズミに変身させて食べ、城を手に入れた三男は王女と結婚します。
ペロー以外の版では結末が違うのですか?
違います。バジーレの「カリウーゾ」では、出世した主人が猫の恩を忘れたため、猫が主人を見限って去ります。ストラパローラの版では、猫は妖精が姿を変えたものとして語られます。
まとめ
『長靴をはいた猫』の原作は、ペローが1697年に刊行した童話集の一編で、その原型はストラパローラとバジーレの物語にさかのぼります。
ペローは猫に長靴をはかせ、物語の最後に二つの教訓を付けました。
- 原作:ペロー『過ぎし昔の物語ならびに教訓』(1697年)
- 原型:ストラパローラ『愉しき夜』(1550〜1553年刊)、バジーレ「カリウーゾ」(1634年)
- 二つの教訓:才覚は遺産に勝る/装いと若さも心をつかむ力になる
- 長靴の理由:本文では、やぶに入って獲物を捕らえるため
- グリム版:1812年の初版にのみ第33話として収録
参照した一次・公式資料
本記事は2026年10月時点で確認できた資料に基づいています。教訓の日本語は原文をもとにした要約で、翻訳書によって表現が異なります。各版の刊行年は初版の年で、写本や再版によって異なる表記があります。

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