結論から。猫又とは、年を経た飼い猫が化けた妖怪、または山に棲んで人を襲うとされた猫の怪のことで、尾が二つに分かれた姿で知られます。
化け猫とは混同されやすく、境目はあいまいです。
目安としては、猫又は「年齢と二股の尾」という姿で、化け猫は「人に化けて祟る」振る舞いで語られることが多い妖怪です。
この記事では、猫又が登場する文献を年代順にたどり、化け猫との違い、尾が二股になった理由の諸説、地名に残る猫又までを整理します。
- 猫又には山に棲む獣と、年老いた飼い猫の2つの系統がある
- 文献の初出は1233年、藤原定家の『明月記』とされる
- 尾が二股の姿は、江戸時代の随筆や妖怪画で定着した
猫又とは?年を経た猫が化けた妖怪
猫又とは、日本の民間伝承や古典の随筆、怪談に登場する猫の妖怪で、人に飼われた猫が年老いて化けたものと、山中に棲む大きな獣とされるものの2つの系統があります。
デジタル大辞泉プラスは、猫又を日本各地に伝承がある猫の化け物で、多くの怪談集や妖怪絵巻の題材になってきたものと説明しています。
現在よく知られる「尾が二つに分かれた猫」の姿は、家で年を重ねた猫が化けるという系統で描かれることが多いものです。
一方、古い記録に出てくる猫又は、山や人里の外で人を襲う、正体のはっきりしない獣として語られていました。
同じ「猫又」という名前でも、時代によって指しているものが違う点が、この妖怪を分かりにくくしています。
| 系統 | 棲む場所 | 正体 | 主な振る舞い | 代表的な記録 |
|---|---|---|---|---|
| 山の猫又 | 奥山、人里の外 | 猫に似た大きな獣 | 夜道で人を襲い、食う | 『明月記』(1233年)、『徒然草』第八十九段 |
| 家の猫又 | 人の家 | 長く飼われて年老いた猫 | 化けて人を食う、さらう、二本足で立つ | 『徒然草』第八十九段の一節、江戸時代の随筆 |
| (絵の中の猫又) | 家の縁側や障子の陰 | 手ぬぐいをかぶり立ち上がる猫 | 人のまねをする、踊る | 鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776年) |
猫又を一言で説明するなら「年を経た猫」です。山の猫又は正体不明の獣、家の猫又は長生きした飼い猫で、どちらも「普通の猫の範囲を越えた存在」として恐れられました。
猫又はいつから記録にある?明月記から画図百鬼夜行まで
猫又が文献に現れるのは鎌倉時代で、1233年の藤原定家の日記『明月記』が初出とされています。
その後、鎌倉時代末期の『徒然草』を経て、江戸時代に「年老いた飼い猫が尾の二股な妖怪になる」という像が固まっていきました。
| 時代・年 | 資料 | 猫又の書かれ方 | 読み取れること |
|---|---|---|---|
| 1233年(天福元年) | 藤原定家『明月記』 | 奈良で「猫胯」が一晩に数人を食い殺したという噂 | 猫又は人を襲う獣として恐れられていた |
| 鎌倉時代末期 | 兼好法師『徒然草』第八十九段 | 奥山の猫又の噂と、年を経た飼い猫も猫又になるという話 | 山の猫又と家の猫又の両方が語られていた |
| 江戸時代中期 | 伊勢貞丈『安斎随筆』 | 年を経た猫は尾が二股になり、猫又という妖怪になる | 尾の二股が猫又の特徴として記された |
| 1776年(安永5年) | 鳥山石燕『画図百鬼夜行』 | 障子から顔を出す猫、手ぬぐいをかぶって立つ猫 | 普通の猫が猫又に変わる過程を描いたとも見られる |
『明月記』の「猫胯」
『明月記』の天福元年(1233年)8月2日の条には、南都(奈良)で「猫胯」が一晩に数人を食い殺したという記述があるとされます。
ただし、目は猫のようで体は大きな犬のようだったという描写から、本当に猫だったのかを疑う見方もあります。
狂犬病にかかった獣だったのではないかとする解釈もあり、記録の中身は慎重に読む必要があります。
『徒然草』第八十九段の結末
『徒然草』第八十九段は、「奥山に猫またというものがいて、人を食うそうだ」という噂から始まります。
行願寺のあたりに住む連歌好きの法師が、夜更けに一人で帰る途中、小川のほとりで何かに飛びかかられ、猫又だと思い込んで川に転げ落ちました。
近所の人が松明を持って駆けつけて助け起こしますが、連歌の賭けで得た扇や小箱は水に落ちてしまいます。
飛びかかったのは、暗がりでも主人に気づいて喜んで飛び付いた、法師自身の飼い犬だったという結末です。
この段では、法師が聞いた話として「山でなくても、飼い猫が年を経て猫又になり、人を取ることがある」という一節も語られます。
兼好は猫又そのものより、噂に怯える人の姿を描いており、猫又の正体が自分の飼い犬だったという落ちには、乾いた笑いがあります。
『画図百鬼夜行』の3匹の猫
鳥山石燕の『画図百鬼夜行』(1776年)の猫又の図には、障子から顔を出す猫、頭に手ぬぐいを載せて縁側に手をつく猫、手ぬぐいをかぶって二本足で立つ猫が描かれています。
この並びは、普通の飼い猫が年とともに猫又へ変わっていく過程を表したものとも見られています。
ボストン美術館が所蔵する『百鬼夜行絵巻』にも、ほぼ同じ構図の猫又があるとされ、手ぬぐいをかぶる猫は当時の猫又の定番の姿だったと考えられます。
猫又と化け猫の違いは?尾・年齢・振る舞いで比べる
猫又と化け猫の境目はあいまいですが、猫又は「年を経て尾が二股になった猫」という姿で、化け猫は「人に化けたり祟ったりする猫」という振る舞いで語られることが多い妖怪です。
老いた猫が化け猫になるという俗信も各地にあり、両者はしばしば混同されてきました。
| 比べる点 | 猫又 | 化け猫 |
|---|---|---|
| 見分けの目印 | 二つに分かれた尾 | 人の姿に化ける、怪しい振る舞い |
| なる条件 | 年を経ること(長く生きる、長く飼われる) | 年を経ることに加え、恨みや主人の無念など物語上の理由 |
| 主な舞台 | 奥山、夜道、家の縁側 | 武家の屋敷、お家騒動 |
| 古い記録 | 1233年の『明月記』、『徒然草』 | 江戸時代の怪談、歌舞伎や講談 |
| 代表的な話 | 『徒然草』第八十九段、猫又山の伝説 | 鍋島の化け猫騒動など「三大猫騒動」 |
| 絵の特徴 | 手ぬぐいをかぶり二本足で立つ猫 | 行灯の油をなめる女の影に猫の頭が映る |
尾の本数で両者を分ける例もあります。
与謝蕪村が描いた「榊原家の化け猫」は尾が一本に描かれており、この点で猫又とは区別されると説明されています。
行灯の油をなめる化け猫の由来は、化け猫の由来|灯明の油をなめる猫からで詳しく扱っています。
「三大猫騒動」は化け猫の物語
鍋島・有馬・岡崎の「三大猫騒動」は、猫又ではなく化け猫の物語として知られています。
鍋島の化け猫騒動は佐賀藩2代藩主・鍋島光茂の時代を舞台にした怪談で、嘉永期に江戸の中村座で歌舞伎として上演されましたが、佐賀藩の苦情で中止されたと伝えられます。
岡崎の化け猫騒動は、鶴屋南北の歌舞伎『独道中五十三駅』が元になった創作です。
化け猫が武家のお家騒動や芝居と結び付いて広まったのに対し、猫又は随筆や地名の伝承として残った点も、両者の性格の違いです。
長い尾をゆったりと揺らす猫の姿には、伝承の猫又に通じる静かな迫力があります。夜に映える猫のデザインはNYXARIA公式ストアで紹介しています。
猫又の尾はなぜ二つ?名前の由来の諸説
猫又の「又」は、尾が二つに分かれていることに由来するという説が一般的ですが、民俗学の立場からは疑問視されており、名前の由来には諸説があります。
尾が二股という特徴と名前のどちらが先だったのかは、はっきりしていません。
- 尾が二又に分かれる説:最もよく知られる説で、江戸時代の随筆にも「年を経た猫は尾が二股になる」と書かれています。
- 「また(重ねて)」の説:猫が年を重ねて化けることから、重複を表す「また」が付いたとする説です。
- 猿を表す「また」の説:山の木々を行き来する様子が猿に似ることから、猿を意味する「また」に由来するとする説です。
- 背の皮が垂れる説:年老いた猫の背の皮がめくれて後ろに垂れ、尾が増えたり分かれたりして見えたことに由来するとする説です。
「山の猫又」の古い記録には、二股の尾の描写がはっきり出てきません。
二股の尾は、家で長く飼われた猫が化けるという系統が広まった江戸時代に、猫又の目印として定着したと考えると、資料の流れと矛盾しません。
猫の尾の動きが気持ちを表す点は、猫の尻尾の意味|高さと動きの速さで読むでも扱っています。
山の猫又は地名に残っている
山の猫又の伝承は、山や坂、塚の名前として今も各地に残っています。
地名に残る猫又は、家の猫又より古い「人を襲う山の獣」の系統を伝えるものです。
- 猫又山(富山県):猫又が人々を食い殺したと伝えられる山で、山麓には黒部峡谷鉄道の猫又駅があります。実際に大きな猫が住みついていたとも考えられています。
- 猫魔ヶ岳(福島県):猫又が人に化けて人をたぶらかしたという伝説から名付けられたとされます。
- 猫又坂(東京都)・猫又塚(新潟県上越市):坂や塚の名として猫又の名が残っています。
山の地名に残る猫又は、姿のはっきりしない獣への恐れを、身近な猫の名で呼んだものと読めます。
猫が日本の暮らしに入ってきた経緯は、猫はいつ日本に来たか|弥生時代の骨と平安の日記から読むが参考になります。
絵や物語で猫又を見分ける手順
浮世絵や妖怪画、物語に出てくる猫が猫又かどうかは、尾、年齢の手がかり、居場所、振る舞い、資料の年代の5点で判断できます。
- 尾を見る:尾が二つに分かれていれば、江戸時代以降の家の猫又の典型です。
- 年齢の手がかりを探す:「年を経た」「長く飼った」という言葉や、老いた姿の描写があるかを確かめます。
- 居場所を見る:奥山や夜道なら山の猫又、縁側や障子の陰なら家の猫又の系統です。
- 振る舞いを見る:手ぬぐいをかぶって立つ、踊るなら猫又、人に化けて祟るなら化け猫の可能性が高まります。
- 資料の年代を確かめる:鎌倉時代の記録なら獣としての猫又、江戸時代なら二股の尾の猫又と考えます。
手ぬぐいをかぶって踊る猫は、江戸時代の絵で親しまれた題材です。
擬人化された猫の浮世絵の見方は歌川国芳の猫の浮世絵の見方|擬人化・文字絵・見立ての3つの型、文学に出てくる猫は猫が出てくる日本の文学|語り手か脇役かで読むで整理しています。
猫又の伝承から見える、人と猫の距離
猫又の伝承からは、猫が身近な家の動物でありながら、長く生きると人の理解を越える存在になると考えられていたことが分かります。
江戸時代には「老いた猫は化ける」という考えが広まり、猫は長く飼うものではないという俗信も各地に生まれたとされます。
『画図百鬼夜行』の猫又が、障子から顔を出す猫や、手ぬぐいをかぶって立つ猫として描かれた点も示唆的です。
恐ろしい獣というより、人のまねをし始めた飼い猫の姿に、ほんの少しの不気味さとおかしみを重ねています。
人を食う山の怪から、縁側で踊る年寄り猫へ。
猫又の姿の移り変わりは、猫が人の暮らしの内側に入っていった歴史とも重なって見えます。
猫を祀る社寺や、猫にまつわることわざにも、猫への畏れと親しみの両方が表れています。
詳しくは猫を祀る日本の社寺|由来の3つの型とご利益の違いや猫のことわざ|多くは猫を褒めていないで扱っています。
よくある質問
猫又と化け猫は同じものですか?
よく混同されますが、語られ方に違いがあります。猫又は年を経て尾が二股になった猫という姿で、化け猫は人に化けたり祟ったりする振る舞いで語られることが多い妖怪です。境目はあいまいで、資料によって重なる部分もあります。
猫は何歳になると猫又になるとされていたのですか?
決まった年数はなく、伝承によってまちまちです。江戸時代の随筆『安斎随筆』は、数歳を経た猫は尾が二股になり猫又になると記しています。共通しているのは「年を経た猫」「長く飼われた猫」という条件です。
猫又が最初に記録されたのはいつですか?
1233年(天福元年)の藤原定家の日記『明月記』が、文献上の初出とされています。奈良で「猫胯」が一晩に数人を食い殺したという内容です。ただし描写から、本当に猫だったのかを疑う見方もあります。
徒然草に出てくる猫又はどんな話ですか?
第八十九段で、猫又の噂を聞いた連歌好きの法師が夜道で何かに飛びかかられ、猫又だと思って川に転げ落ちる話です。実は、主人に気づいて喜んで飛び付いた法師自身の飼い犬でした。噂に怯える人の姿を描いた段です。
猫又の尻尾はなぜ二つに分かれているのですか?
年を経た猫は尾が二股になる、と江戸時代の随筆に書かれたことで、二股の尾が猫又の目印として定着しました。名前の「又」が尾の二又に由来するという説が一般的ですが、民俗学では疑問視する見方もあり、由来には諸説があります。
猫又は人を襲う怖い妖怪なのですか?
古い記録では人を襲う獣として恐れられていました。一方、江戸時代の鳥山石燕『画図百鬼夜行』では、手ぬぐいをかぶって立つ猫として描かれ、人のまねをする不気味さとおかしみが表現されています。時代によって印象が変わる妖怪です。
まとめ
猫又とは、年を経た飼い猫が化けた妖怪、または山に棲むとされた猫の怪で、化け猫との違いは尾の二股と「年を経た」という条件に表れます。
1233年の『明月記』から江戸時代の随筆と妖怪画まで、資料の年代を追うと、猫又の姿の変化が見えてきます。
- 2つの系統:山で人を襲う獣と、長く飼われて年老いた家の猫。
- 初出:1233年の『明月記』の「猫胯」とされるが、正体には疑問もある。
- 徒然草:第八十九段の猫又の正体は、法師自身の飼い犬だった。
- 二股の尾:江戸時代の随筆や『画図百鬼夜行』(1776年)を通じて目印として定着した。
- 化け猫との違い:猫又は姿と年齢、化け猫は化ける・祟る振る舞いで語られることが多い。
参照した一次・公式資料
- ウィキソース「徒然草(校註日本文學大系)」第八十九段(2026年10月確認)
- コトバンク「猫又」(デジタル大辞泉プラス)(2026年10月確認)
本記事は2026年10月時点で確認できた資料に基づきます。『明月記』『安斎随筆』『画図百鬼夜行』、各地の地名の伝承は、妖怪事典・伝説事典を出典とする百科事典の解説で確かめたもので、原本は確認していません。猫又の由来や化け猫との区別には諸説があります。

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